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1 征夷大将軍 ★ :2020/04/26(日) 14:31:38.05

プロ最後の「隠し球」も昔…名手の証言から迫る極意
#開幕を待つファンへ プロ野球で最後の「隠し球」が記録された試合を知っていますか? 09年6月30日のソフトバンク-オリックス戦。オリックスの山崎浩司が成功し、広島時代を含めセ・パ両リーグで達成した。あれから11年。“くせ者”は現れず、令和の時代を迎えた。証言からウルトラCの極意に迫る。
09年6月30日のソフトバンク-オリックス戦。山崎の成功を最後に、プロ野球から「隠し球」が消えた。プロ野球創設時に活躍した苅田久徳が初めて成功したとされ、70年に東映の大下剛史がシーズン4度、83年には広島アイルランドが3度記録。90、00年代には巨人元木大介、横浜佐伯貴弘らが記録したが、今やめったにお目にかかれないウルトラCとなった。
山崎氏に聞こう。プロ入り時、コーチから「次のプレーを4、5個は頭で考えておくように」と教えられ、1球1球、打球や動きをイメージしながら守った。1つのアウトを取った後に「次のアウトはどうする?」と思考を巡らせる中で、オプションとして隠し球に着想した。成立する条件として「相手が気付いていないこと」「自軍の投手が察知すること」を挙げた。

テレビで追えないほど鮮やかに決まった、くだんの場面をひもといていく。2回無死一塁。ソフトバンク本多が一塁前へ犠打を成功した。二塁手の山崎は一塁ベースカバーでボールを捕球。「ベースコーチ、ベンチをチラチラ見ながら」二塁方向に向かい、「いける」と決断した。走者に目を移した時、高校の先輩の田上だったことに気付き「すみません」とタッチした。
投手の近藤にはアイコンタクトで知らせた。ボールを持たず、プレート付近にいればボークが宣告される。ボークを防ぐとともに、ボールの交換やタイムを取ることを避けることも必須条件。「それが直接的な理由かはわかりませんが」と前置きし、続けた。

山崎氏 最近は、打者がいろんな所に防具をつけるので、外す時にタイムをかけるケースが多くなっているように感じます。投手がボール交換を要求するのも増えたかなと。

オリックス時代の失敗例もそうだった。成功するかに見えたが、山崎の動きに気づかなかった投手が審判にボール交換を要求。プレーが止まり、ボールをファウルゾーンに投げ返した。広島在籍時の07年8月15日の巨人戦、阿部慎之助を仕留めた時は、ブラウン監督が当初気付かず。「二塁ベースに寄りすぎてないか」と守備位置を一塁寄りに指示しかけた。

山崎氏 成功した2回は送りバントのベースカバーの後でしたが、二塁方向に行く時はめちゃめちゃドキドキした。気付かれたら終わりなんで。目で周りを見ながら、気配は消して。

「4年に1回です」と五輪の周期に例えた。「1回やるとベースコーチもずっと見ていますし、(ソフトバンク)川崎からは『やまさん、ボール持ってませんか?』と疑われた」と笑った。オリックスでチームメートだった香月良太氏は「やった時に、ボークを取られないようにする練習をしていた」と回想。最高難度のワンプレー…背景には、周囲を含めたしたたかな準備がある。

日刊スポーツ 2020.4.26
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202004250000437.html


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