アジアの鷹

スポーツ全般の出来事をまとめています。
野球が多いかもしれませんが、ご了承下さい。野球では、ソフトバンクファンです。

    野球がメインです。ソフトバンクが好きです。
    スポーツ全般を載せています。

    カテゴリ: ヤクルト



    (出典 farm6.staticflickr.com)



    1 ひかり ★ :2020/02/14(金) 18:25:06 ID:j+mBYe4t9.net

     将来的にNPB参入を目指すべく沖縄に発足した新球団「琉球ブルーオーシャンズ」は14日、沖縄県庁で昨シーズンにヤクルトから戦力外通告を受けた
    村中恭兵投手の入団発表会見を行った。これでNPB出身選手は10名となり全29選手でシーズンを迎える。

     村中は茶目っ気たっぷりに会見に臨んだ。今回の入団発表会見に先立ち、所属球団未定の大物選手獲得の憶測がネット上などで流れていたことをうけ、
    「ネットではいろいろと騒がれていたんですが、すみません。僕です」と話して笑いを誘った。そしてこう続けた。

    「(琉球に)声を掛けていただいて『ぜひやらせていただきたい』とお願いしました。球団として、地域に貢献していくこと、(NPB)新規参入を
    目指すことに魅力を感じて決めました。しっかり頑張っていきたい」

     会見に同席した元ロッテの清水直行監督は「現在投手は8人。左腕は貴重な存在ですし、エース格になってもらえる存在」と村中に期待を寄せた。

     村中は東海大甲府高から2005年に高校生ドラフト1巡目でヤクルトに入団。昨年に戦力外を受けシーズンオフにオーストラリアのウインターリーグに参加。
    オーストラリア・ベースボールリーグ(ABL)のオークランド・トゥアタラでプレーをしていた。
    NPB通算は46勝55敗、防御率4.30。

    Full-Count編集部

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200214-00689859-fullcount-base

    (出典 image.full-count.jp)


    【【野球】前ヤクルト村中恭兵が「琉球」入団】の続きを読む



    (出典 pbs.twimg.com)



    1 ひかり ★ :2020/02/11(火) 20:18:49.01 ID:T0vrg6B59.net

    ヤクルト嶋基宏捕手(35)が、大きな大きな野村氏の背中を追う。

    11日、打撃練習を終えた直後、大粒の汗ではなくあふれ出る涙をぬぐった。「今、現役の捕手で野村監督に最後に教えてもらったのは僕だと思うので。いずれ僕も現役をやめて、野村監督みたいな名監督になれるように、
    これからたくさん勉強したいと思います」。

    楽天に入団した07年からの3年間は、野村監督との濃厚な時間だった。怒られもしたが、褒められたこともあった。捕手の道を究める上で、貴重な体験をし「出会っていなかったら、今ここでユニホームを着ていたかも分からない。
    僕のプロ野球人生において、一番の大きな存在です」と明かした。監督退任の際、贈られた言葉がある。
    「優勝するチームには、名捕手あり」。野村氏からの「お前が名捕手になれ」という思いが込められていた。その後、嶋は正捕手としてリーグ優勝と日本一を経験。ベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞し、
    侍ジャパンにも招集。野村氏の言葉を見事に体現した。この日、全体練習後に行われた捕手の特守では人一倍大きな声を出し、雰囲気を盛り上げた。今も、胸の中には野村監督の思いが生きる。
    「体も心も頭も、酷使していたと思う。ゆっくり休んで、見守ってほしいなと思います」と絞り出した。

    日刊スポーツ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200211-02111095-nksports-base

    (出典 www.nikkansports.com)


    【【野球】ヤクルト嶋「いずれ野村監督みたいな名監督に」】の続きを読む



    (出典 portal.st-img.jp)



    1 ひかり ★ :2020/02/12(水) 12:20:08 ID:aVV1S/zl9.net

     半旗が掲げられた宮崎のキャンプ地で、福岡ソフトバンクの工藤監督が野村さんの逝去を悼んだ。「現役の時から野村さんの本を全て読んで、配球のことや
    打者のことを勉強した。そこが僕の野球観を養う上でのほぼ全てでした。学びたいこともたくさんあったので、本当に残念です」。沈痛な表情を浮かべ、
    野村さんの考えが自身の野球観の基礎となっていることを明かした。

     「野村ID野球」で自身の投球を研究されて“丸裸”にされたことが、野球を深く学ぶきっかけとなった。西武時代の1992、93年に日本シリーズでヤクルトと対戦。
    シーズンで15勝(3敗)をマークし防御率1位だった93年は、シリーズで第1戦の先発を託されたが、初回にいきなり3点を失うなど、2回途中4失点でKOされた。
    第5戦でも5回にピンチを招き降板。日本シリーズでは通算9勝をマークしているが、野村監督が率いていたヤクルトと対戦したこの2年間は白星がない。

     「(研究されていたことを)感じました。ヤクルトの選手はカーブを飛び付くように打ってきた。『緩い球を狙っていけ』という指示だったことを後から聞いた」

     ID野球に攻略されたことで、野村さんの著書などで学び自身も相手打者や配球を深く研究するようになり、94年以降で7度も2桁勝利をマークした。
    「今でもそれを基にピッチャーの対策とかを立てている」と、監督就任後も野村さんの影響を受けていることを明*。特に短期決戦などでは、相手のキーマンを
    徹底的に研究して攻略。監督として日本シリーズではここまで16勝4敗1分けの勝率8割と、驚異的な強さを誇っている。

     自身の野球解説者時代には「早くユニホームを着て、若い人たちを育てるとか、もっと野球を学びなさいと言っていただいた」と、監督就任への背中を
    押してもらったことも明かした。「本当にたくさん勉強させていただいて、それが今に役立っている」。野村さんを超す「名将」となることが、恩返しだと信じている。 (倉成孝史)

    西日本スポーツ

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200212-00010008-nishispo-base

    (出典 amd.c.yimg.jp)


    【現役時代は野村ヤクルトに勝てなかった工藤監督】の続きを読む



    (出典 thedigestweb.com)


    恩師だからね~
    気持ちはわかります。

    1 1号 ★ :2020/02/11(火) 14:06:54 ID:tr2eI5sA9.net

     プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日、3時31分に死去した。84歳だった。死因は「虚血性心不全」だった。

     訃報を受け、ヤクルトの高津臣吾監督が対応。突然の訃報に号泣した。野村氏のもとで抑えとして活躍した高津監督は「言葉にならない。入団当時から一から十までプロの難しさを…教わりました」と話したところで号泣。今季から監督に就任し、「見てもらいたかったですし、まだまだ教わることもたくさんありました。最近、会えば、抑えにして悪かったなと言われてきました。楽しい時も素晴らしい時もつらいことも、経験できたのがすべての思い出です」と振り返った。

     今は「普通の会話がしたい」と語った高津監督。恩師に誓うように、「ヤクルトを愛してくれた人。監督の思いに応えられるように素晴らしいシーズンにしたい」と語った。

     高津監督がヤクルトへの入団時に監督を務めていたのが、野村元監督だった。野球の基礎をたたき込まれた日々。ヤクルトで5度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した絶対的な守護神となった。

     先月行われたヤクルトOB懇親会では、久しぶりの対面に笑顔。「私に用事はないですか?」と切り出し、冗談まじりにヘッドコーチ就任を直訴されていた。野村元監督からは「弱いチームを強くするのは楽しいよ。ちょっと頭をひねれば優勝できる」と野村ID野球の“続き”を願われ、「教わったことを取り入れていきたい。常に僕らの教科書にして」と継承を誓っていた。

    2/11(火) 13:40配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200211-00000073-dal-base

    関連スレ
    【速報】元プロ野球選手の野村克也さん(84)が死去 警視庁【ノムさん】★6
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1581395332/


    【ヤクルト・高津監督は号泣】の続きを読む



    (出典 music.oricon.co.jp)



    1 ひかり ★ :2020/02/11(火) 19:53:13 ID:T0vrg6B59.net

     ヤクルトOB、元監督で野球評論家の古田敦也氏(54)が11日、現役時代の監督だった野村克也氏(享年84)の訃報を受け哀悼の意を表した。

     「テレビにも出られていたし、お元気だとみていたので…。突然のことで、驚きました」。

     テレビ取材のため宮崎・西都のヤクルト2軍キャンプを取材。早朝、仕事先の大阪から空路、宮崎を目指す伊丹空港で野村氏の息子である楽天・
    野村克則作戦コーチからのメッセージで訃報に接した。「9年間、ご一緒させていただいて1からというか、プロ野球は何だとか、捕手としての
    イロハというか、それも含めて“こうやって生き抜いていくんや”とかそういう気持ちの入ったお言葉を頂いた」。
    現役時代、同じ捕手として師弟関係でもあり、自身のヤクルト監督就任時にも言葉を贈られたという。「僕が監督になったときの一番の教えは選手と
    距離をおきなさいと。残念ながら監督というのは非情な決断をしないといけない。決断していかないといけないときがあるので、ある程度の一線は
    引きなさいというのが監督の教えだった」と振り返った。

     監督、選手として接した野村氏については、近くにいたからこそ感じる人柄もあった。「理論ばっかりみたいな感じだけど、どちらかというと
    感情的な方でね、やっぱりよく怒っていた。プロ野球選手たるものそういう攻撃的な姿勢、積極的な姿勢、怒りとか、そういう負けたくないという
    気持ちとかを持っていて当たり前なんだと。負けず嫌いの塊。ベースはそれだった」。連日行われたミーティングも今では糧となっている。
    「僕たちの知らない言葉だったり、ものごとの真髄を突いている言葉だったり。そういうのをかみ砕いて毎日ミーティングしていただいて、
    監督にとっても大変な作業だったと思う」と懐かしんだ。

     最後に顔を合わせたのは1月21日に行われた金田正一氏のお別れの会だった。11日に帰京予定で「ひと目、お会いしたい」と別れを告げに足を運ぶ意向。
    「やっぱり僕もかなり影響を受けているし、それが正しいと思ってやってきて成長できている。それを継承して次の世代に伝えていくのが
    我々の仕事だと思っている」と話した。

    スポニチ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200211-00000138-spnannex-base


    【【野球】古田敦也氏、恩師の教え胸に「継承して次の世代に」】の続きを読む

    このページのトップヘ